諫早市議会 2022-12-03 令和4年第5回(12月)定例会(第3日目) 本文
特殊地下壕とは、第二次世界大戦中に旧軍、地方公共団体、その他これに準ずるものが築造した防空壕や防火水槽と定義されております。この調査は、戦時中の特設地下が全国的に多数存在していることから国土交通省により実施されているもので、平成29年度の調査では全国で8,474カ所、うち諫早市で65カ所が存在しているとの結果とお伺いしております。
特殊地下壕とは、第二次世界大戦中に旧軍、地方公共団体、その他これに準ずるものが築造した防空壕や防火水槽と定義されております。この調査は、戦時中の特設地下が全国的に多数存在していることから国土交通省により実施されているもので、平成29年度の調査では全国で8,474カ所、うち諫早市で65カ所が存在しているとの結果とお伺いしております。
私がこう尋ねたのは、被爆者の当時の社会を映し出すというようなことで被爆遺構になっていると思うけど、ここがまさに第二次世界大戦の最高級の遺構なんです。第二次世界大戦がなければこの防空壕なんか造られていないし、また一番奥に知事室なんてあるわけない。
ルース・ベネディクトは、アメリカの女性文化人類学者でありますが、第二次世界大戦中に日本を敗北に導き征服し、かつ占領政策を遂行するという戦争目的のために、日本文化論の古典とも称せられる「菊と刀 日本文化の型」を著しました。負けないように読んできました。この著書において彼女は、日本文化を恥の文化と規定して、多くの日本人にも知られるようになりました。恥の文化、罪の文化、西洋はですね。
このうち中央競馬を除いては、各自治体が施行者となっていて、再発足したとはいえ古い歴史を持つ中央競馬以外の今申し上げた4競技は、第二次世界大戦後に、実施されたわけであります。 地方競馬と競輪が1948年、オートレースが1950年、競艇が1952年でありまして、いずれも、第二次世界大戦後の罹災復興への大きな目的があって、現在に至っています。
競輪事業は、第二次世界大戦による戦災からの復興を主目的にした公営ギャンブルの一つとして開催され、地方財源の確保や地域振興に一定の貢献をしてきたことは言うまでもありません。 しかしながら、財源の確保を公営ギャンブルに頼るのは、健全な市民生活を支えるべき地方公共団体として、本来あってはならないことだと私は考えます。
長崎原爆遺跡は爆心地のほか、被爆の痕跡が顕著な旧城山国民学校校舎、浦上天主堂旧鐘楼、旧長崎医科大学門柱、山王神社二の鳥居で構成しており、第二次世界大戦末期における原爆投下の歴史的事実、核兵器の被害や戦争の悲惨さを如実に伝える遺跡として、平成28年10月に国の史跡に指定されました。
戦争目的の達成程度という物差しではかれば、第二次世界大戦は日本の勝ちであり、旧植民地を失って、白人の優越という神話を完全に破壊されたのは、欧米白人社会という判定も成り立つという学者もいます。 歴史を振り返り、冷静に検証して学び、次の世代へ伝えていくことの大切さを思います。このことは、教科書採択の問題にもつながってきます。日本が世界の安定や世界平和に貢献できるようになるには、まず基本は教育です。
これについては、戦後の教育の関係上、太平洋戦争だとか、第二次世界大戦だとか言っておりますけれども、第二次世界大戦といったら世界全域のことであって、アメリカなどの連合国側から言えば日本とは太平洋戦争であると。ただ、日本では、昭和16年12月の閣議で大東亜戦争と呼称すると閣議決定しているわけです。したがって、正式名称は大東亜戦争だと思います。念のため。
港湾整備やダムの改良、それから第二次世界大戦で原子爆弾が投下されたというふうなさまざまな事象がございまして、こういう部分を経て、その痕跡がこの都市長崎遺跡に残されているということでございますから、市の中心部はほとんど、こういう遺跡群として捉えて現状保存してくださいということですから、これは一般的にはちょっとあり得ないのかなとは考えております。
シアトル市では、第二次世界大戦中の日系アメリカ人等の強制収容を後世に伝えるために設立された2つの施設を訪問し、中学生向け教育プログラムの構築に関する協議を行いました。 今後、事前視察の結果等を踏まえ、関係機関と協議を行い、来年度の事業実施に向けて準備を進めてまいります。
これは世界的に第一次世界大戦、第二次世界大戦、こういうものを経て、どこでも大抵の国が戦争はしないと、武力による国際紛争の解決はしないというふうな憲法を持っております。
さらに中学校におきましても、各学年ごとにテーマを設置し、平和や戦争に関する本やインターネット、新聞等の活用や映像の視聴等で学習を深めまして、原爆の被害、第二次世界大戦下の日本の状況、沖縄戦、第21海軍航空廠等をテーマに新聞にまとめ、成果を発表するなどの取り組みをしているところでございます。 以上です。 ◆1番(田中博文君) ありがとうございます。
それから、平和宣言の問題についてですが、その後の朝鮮戦争や情勢のことなどがありましたけれども、一番の大きな佐世保市民が体験したことというのは、さきの第二次世界大戦で悲惨な結果を受けたということではないですか。
中国にしても第二次世界大戦のときに持たなかったんですよ。その後持ったわけです。その持った国が北朝鮮に持たせないと言ったら、どうなるのかなと逆にあなたたちは持ったじゃないかて言われはしないかと思ってるぐらいなんですよ。
ここで、最後にアイゼンハワーという方がいらっしゃいまして、第二次世界大戦、ノルマンディーの連合軍の総司令官です。この方が、プランとプランニングという言葉の概念の違いだと思うんですが、戦闘においてプランというものは全く役に立たない。しかし、プランニングがなければ何もできない、戦えないと、不可欠であると。どんなに精巧につくったものでも、いざというときには全く役に立たないと。
第二次世界大戦後に憲法が制定され、必然的に棚ぼた式に与えられたかのように思われますが、外国のように独裁政治からかち取った経緯はありません。戦前にはなかった全国民に与えられる権利です。トランプ氏の当選は、佐世保市においては、海の向こうの話のように思えますが、米海軍基地を保有する佐世保市にとっては、他人事では済ませることのできない大きな問題です。選挙権一票の重さが世界を変えることにもなりかねます。
第二次世界大戦が植民地支配を終わらせましたが、オランダと日本は1600年代に臼杵にリーフデ号が漂着したことに始まり、明治維新まではオランダとだけの交易を続けていました。 日本が植民地解放を意図して戦争したのではありませんでしたが、結果的にオランダの植民地だったインドネシアが植民地でなくなり、オランダにとっては大きな損失となってしまいました。
その後、その建物等は、第二次世界大戦の時の強制疎開で建物のほとんどは撤去されたという経緯がございます。その辺のところを考えると、出土物については、江戸時代当時の町家の何か発掘物がでるのではないかと考えております。
ぜひ、今長々と申し上げましたが、やっぱり自分の国の歴史をしっかり冷静に眺めるということは--第二次世界大戦も、要するにあれはチャーチル首相がアメリカも巻き込んで、日本も巻き込んで世界大戦にしたほうが自分たちにとって都合がいいというような策略があったこと。そういうことも、この教科書、中学生向けの教科書の中に書かれているものもあります。もちろん書いていない教科書もあります。
その演説内容を大きく3つまとめると、まず、広島、長崎への原爆投下により、第二次世界大戦は残酷な終えんを迎えたということ、2つ目は、原爆投下によって死亡した子供を含む10万人以上の日本人、多くの朝鮮半島出身の人々や米国人捕虜を追悼するために来たこと、3つ目は、悲惨な戦争で罪のない人々が殺された。我々は歴史を直視する責任を共有しているというものでした。